『オードリー牧師によるデボーション』
マルコ12:30に「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」とあり、この聖句は、私たちにとって親しみのあるみ言葉です。
イエスは、人が死からよみがえるということについて、サドカイ人たちと議論していました。そのうちの一人がイエスに、どの戒めが一番大切かと尋ねました。イエスは申命記6章から答えられました。
申命記6章を見れば、唯一まことの神しか存在しないことがわかります。申命記11:13-14は、その知識をどう実践すべきかを教えています。それは私たちの中にあるすべてのものをもって神を愛することです。
申命記11:13-14(NCV訳)には、「もしあなたが今日、私があなたに与える命令に注意深く従い、あなたの神、主を愛し、全身全霊で主に仕えるなら、主は秋と春の適した時にあなたの土地に雨をもたらし、あなたは穀物と新しいぶどう酒と油を集めることができる」とあります。
私たちは、自分の内にある、あらゆる部分をもって、全身全霊で神を愛し、仕えるのです。自分自身を完全に神に捧げるとき、神は私たちを完全にすることができるのです。
1テサロニケ5:23 (MSG訳)
を聖く、完全にされる神ご自身が、あなたがたを聖く、完全にし、霊、たましい、からだを一つにして、私たちの主イエス・キリストの来臨に備えて、あなたがたをふさわしい状態に保ってくださいますように。
ヤコブ4:8a
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたにに近づいてくださいます。
神はあなたに近づき、あなたともっと関わりたいと願っておられます。どうすれば神に近づくことができるのでしょうか?エレミヤ29:13には、「あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。」 とあります。
ですから、まず …
- 神はあなたの心を求めている
ヨエル書には、イスラエルの敵が、いかに彼らを支配しようとし、イナゴのように攻撃してきたかが描かれています。邪悪なバッタのような大きな灰色の雲が、行く手にあるものをすべて破壊してしまうのです。ヨエル書2:12 (リビングバイブル訳)には、「だから、主はこう言うのです。『まだ間に合ううちに、今、わたしのところに戻れ。心をすべてわたしに向けよ。断食し、嘆き悲しみながら来なさい。』とあります。
私たちはどのように神に立ち返るのでしょうか?神に心を捧げるとき、私たちは神に立ち返るのです。
あなたが心から誰かや何かに対して感じることのできる愛、神はあなたにその愛をご自身に捧げて欲しいと願っておられるのです。
神が私たちの心を求めておられることははっきりしましたが、では、どうやって心を捧げればいいのでしょうか?
- 神に心をきよめていただく
神との関係が赦しから始まるのには理由があります。
神は聖なる神であり、完全で、純粋で、汚れのない方です。神の存在のどこにも邪悪なものや間違ったものはありません。ですから、神と関係を持つためには、私たちも同じように、汚れのない純粋な存在でなければならないのです。
私たちは皆、罪人であり、永遠の死に向かっていたのです。しかし、イエスは私たちの代わりに死ぬことを選び、 罪と死の力を打ち砕かれました。そうすることによって、わたしたちの心をきよめ てくださったのです。イエスは、わたしたちに赦しと神との関係を与えるため に来られたのです。
コロサイ人への手紙1:13-14
御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移して下さいました。この御子にあって、私たちは贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。
罪の赦しなしには、イエスとの関係はまったく成り立ちません。あなたの心がきよくされた今、神はあなたの人生の一部となり、あなたの心の中に住むことができるのです。
最後に、私たちは主に心を捧げ、主が私たちの心をきよめてくださるように、主とともにこの旅路を歩もうではありませんか。そうすれば、神はいつも私たちの近くにおられ、私たちが心を尽くして神を求めるとき、神を見つけることができるという確信のうちに歩むことができるのです。