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神のもとで休息する

by Evan

ゼン・インによるデボーション(牧会スタッフ)

使徒の働きを読んでいると、主に励まされていることに気がつきます。使徒12章では、ヘロデ王が教会の信徒たちを迫害していたことが分かります。ヘロデ王は使徒ヤコブの首をはね、今度はペテロを逮捕し、投獄しました。

使徒12:4-6
4ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越しの祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。5こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。6ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた。戸口では番兵たちが労を監視していた。

私は、ペテロがあまりにも “リラックス “しているように思えて、驚きました。16人の看守たち(4人一組)がペテロを監視していましたし、裁判の前夜でした。ヤコブが斬首されたばかりで、ヘロデ王が翌日ペテロの斬首を決行しても、全く不思議ではありません。ですが、ペテロは、看守の間に鎖でつながれて、すやすやと眠っていたのです。

このような状況で、ペテロはどうして眠れたのだろうかと考えました。殺されることを恐れてはいなかったのでしょうか?奇跡が起こるように祈り、助け出されることを神に懇願したはずではないでしょうか?必死で逃げ道を探していたはずなのに、ペテロは眠っていたのです!信じられません!

皆さんはどうでしょうか。私は、頭の中でいろいろな考えが駆け巡り、眠れない夜を過ごしたことを思い出しました。その考えとは時に、仕事量や締め切りが迫っていることに不安を感じたりします。また、任されているメンバーのこと、急ぎの説教準備、教会の懸念事項など、ミニストリーが重荷となることもあります。また、家族のこと、緊迫した人間関係、健康問題、あるいは経済的な心配事など、生活のことである場合もあります。

夜、眠れなくなったことはありませんか?不安な考えや恐怖、解決不可能と思われる問題、背負うには重すぎる重荷のために、眠ることができなかったことはありませんか?

眠りについて考えるとき、私は聖書の有名な一節を思い出します。それは、嵐の中で眠るイエスの姿です。

マタイ8:24-27
24すると見よ。湖は大荒れとなり、船は大波をかぶった。ところがイエスは眠っておられた。25弟子たちは近寄ってイエスを起こして、「主よ、助けて下さい。私たちは死んでしまいます」と言った。26イエスは言われた。「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。」それから起き上がり、風と湖を叱りつけられた。すると、すっかり凪になった

弟子たちは明らかに恐れていました。彼らはパニックになり、イエスを起こそうと決心しました。彼らは落ち着いて話すこともできず、すでに助けを求めて叫んでいたのです!

それから数年後、使徒の働きの中でのペテロの反応は、マタイの福音書での反応と正反対であることが分かります。イエスと同じように、彼は嵐の中でも眠ることができるようになったのです。ペテロは主との関係において成熟し、今や神がすべてのことを支配しておられることを知り、信仰を持つようになったのです。

ペテロは、自分がもうすぐ超自然的に逃れることになると知っていましたか?全く知りませんでした!

ですが、未来がどうなるかわからないときでさえも、自分を愛し、気にかけてくれる神のもとで休息することができると知っていたのです。たとえ命を落としても、ペテロの主への信仰と愛は揺るぎないものだったのです。

愛する皆さん、 信仰とは、たとえすべての答えが分からなくても、神を信頼し、神の心を知り、神のもとで休息する能力なのです。アブラハムは一生の間にすべての約束を受け取ったわけではありませんが(ヘブル6:13)、神の友と呼ばれました(2歴代誌20:7)。

私たちがキリストとの歩みの中で成熟し、不安や恐れ、心配を神の愛の御手に委ねることができるようになりますように。私たちの祈りが答えられようが、答えられまいが、神が私たちに誠実で良いお方であること、そして神を愛し、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを確かに知ることができますように(ローマ8:28)。

嵐のただ中にあったとしても、主のもとで休息を見いだし、信仰と平安のうちに眠れるように、祈ります。主は愛する者、そう、あなたに休息を与えてくださるのです!

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