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召しがあなたを呼んでいる

by Evan

永田 愛香 2014年 日本

2014年、私は看護師の仕事を辞め、SOTに入学しました。私はこのSOTでの学びを通して、初めて神様と個人的な出会いをしました。また、主はあらゆる祈りをきいてくださり、神様の豊かさ、奇跡を色鮮やかに見ることができた最高の7ヶ月間でした。

シンガポールから帰国後は、再び看護師として働きながら、教会では賛美やユースの奉仕を通して仕えていました。主の恵みによって、多くの若者が救われ、教会は活気に溢れていました。しかしある時期から、同じように伝道や牧会をしても、なかなか実を見ることができないシーズンが続き、私は行き詰まりを感じていました。様々な理由で働き人も減り、負担だけが大きくなり、忍耐の時でした。また、献身の思いがあるのに、教会ではなく、病院で看護師として働いている自分にも違和感を覚え、この先どうすればいいのか分からなくなってしまいました。

そんな中、もっと神様を深く知りたいという願いが強くなり、2021年、日本の聖書学校で一年間学ぶ道が開かれました。長年勤めていた病院を辞め、一度全てを脇に置き、私の人生に主がどのような計画をお持ちなのかをただ知りたいと思いました。神様が新しい祝福の道を開いてくださるのだと感じ、私の心は期待と喜びでいっぱいでした。

私が入学した全日制の聖書学校では、同じ献身の思いを持つ仲間たちと共に共同生活をしながら祈り、学び、素晴らしい毎日でした。しかし人生には様々な予期しないことが起こるものです。私は、ある時期、自信を完全に失い、自分が何者なのか分からなくなってしまうことがありました。気力をなくし、熱く祈ることもできなくなった私は、毎日泣きながら小さな声で「神様助けて」と言うことしかできませんでした。

聖書学校の学びが終盤に近づいていた2021年12月、冬季休暇を利用して、病院で看護師のアルバイトをしました。この時期、卒業後の進路についてまだ主からの示しがなく、私の心は焦っていましたが、何かをしてその思いを忘れようとしていました。

ある日、全く動けない、表情もないおばあさんをお風呂に入れていた時、私はその人の手をとってマッサージをしていました。無表情だったおばあさんが突然初めて、ニコっと笑ってくれたのです。この時「ああ私は看護師の免許があるから、このおばあさんの側に寄り添いケアができるんだ。何という特権だろう」と内側から湧き上がる喜びと同時に何ともいえないやりがいを感じました。

また、聖書学校でも看護チームとしてコロナに感染した生徒の対応を担当していました。その中の一人に、コロナの後遺症の影響で倦怠感がひどく途中で倒れてしまったり、言葉がうまく話せなくなってしまった生徒がいました。この症状がいつまで続くかわからない不安と焦りでいっぱいの彼女に対し、私はできる限りのケアをし、手を置いて祈っていました。彼女は呂律が回らない中でも泣きながら、私の手を握り、「愛香さん、本当にありがとう。すごく助けられてる。すごく救われている。神様を知っている愛香さんの看護、本当にたくさんの人に必要、たくさんの人が待っている」と言ってくれました。私はその言葉に心打たれ、本当に嬉しくて涙が止まりませんでした。

私自身は、先行きの見えない将来と同時に、心の中に何度もやってくる自己価値への疑いでずっと落胆状態にありました。

しかし、その一方で看護することに対しては、いつも使命感と喜びがありました。間違いなく、私の力ではなく私の内にいる、聖霊様が確かに働かれているのを感じました。

私はボビー先生がある時SOTの授業の中で言っていた言葉を思い出しました。”Calling is calling you” このような看護の現場に触れる出来事を通して、自分がまずクリスチャンであり、そして看護師であることを再確認し、「この私の手を用いて人々に仕えたい!」という思いが新たにされました。時には歌い、語り、時にはただ悲しみや不安の中にいる人たちのそばに居て一緒に泣いたり、ハグしたり・・・この全身すべてを使って、イエス様の愛を伝えたいのです。イエス様がまるでこの地上にいた時のように、私も毎日イエス様のようにただ生きたいと思いました。また医療現場にとどまらず、孤独を感じている子供や若者たちに寄り添い、彼らが神様に愛され、喜ばれている存在であることを伝え、絶対的味方になりたいのです。私たちは色んなことを考えてしまいますが、本当に必要なことはわずかです。私はクリスチャンとしてただ主を愛する。そして主から頂いている愛で周りの人たちを愛する。これが私のなす全てことの根底にあれば十分なのだと気づかされました。

“弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。” コリント人への手紙 第一 9章22~23節

聖書学校卒業後、私には選択肢として、母教会から離れた地域で看護師として就職する道もありました。しかし、私は生まれ育った福岡にとどまり、看護師の仕事をしながら愛する母教会に仕え続ける決断をしました。主が用意されたどんな宣教にも対応できるように、今は救急病院の心臓外科で働き、看護師としてスキルアップしています。
結果だけ見ると何も変わっていないように見えますが、しかし、私の心は間違いなく神様の介入によって新たにされたと確信しています。

今、私の教会では新しい賛美が生まれ、主の深い臨在が溢れる礼拝が捧げられています。また、若者たちが教会に導かれ、先日は洗礼式がありました!洗礼を受けた姉妹は「絶対見捨てない、いつも私を愛してくれるお父さんができて嬉しい」と話してくれました。このように、私は、私の愛する教会が、更に多くの人々で溢れ、一人ひとりの魂が主の愛に触れられ、癒しと安息を体験する場となることを祈り、そのために全力を尽くし主に仕えていきたいです。

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