『オードリー牧師によるデボーション』
エレミヤ29:13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。
私たちは、心を尽くして神を求めるとき、神を見出すことができるのです。神はあなたの心の半分ではなく、全てを求めておられます
心臓は人間の存在の原動力であり、全身に酸素を運ぶ最も重要な臓器です。心臓なしには、人間は生きることができません。心臓病は毎年何百万人もの命を奪っており、心臓を健康に保つことは非常に重要なことです。
聖書ではしばしば人間の心について語っており、神はその心を私たちの霊的な状態と同等に用いておられます。
神は「心の秘密を知っておられ」(詩篇44:21)、「心を探る」(エレミヤ17:10)お方なのです。私たちが「全き心と、喜びの気持ちで」(1歴代誌28:9)神を愛し、仕えることを望んでおられます。
心は、あなたという人間の核であり、本質です。さて、今日のあなたの心の状態はどうですか?気になる人に出会うと心臓が「ドキドキ」するように、主の名を口にすると心が「ドキドキ」しますか?
神は、私たちの心からの献身的な愛を求めておられるのです。「Devotion (デボーション)」という言葉は、英語の中でも意味の詰まった言葉の一つです。「ある人や原則に対して注ぐ、情熱、しばしば無償の愛、また熱心さ」という意味があります。
人に尽くすとは、その人に対して無欲の心を持ち、自分よりもその人を優先させることです。誰かを愛するということは、自分の全て、時間、エネルギーをその人に捧げるということです。
ダビデとサウルの違いを見てみましょう。
サウルは表面的には、かなり完璧な人物に見えましたが、神は彼の心を見ておられました。彼は実は傲慢で、自己中心的で、頑固な人だったのです!
ダビデは表面的には、救いがたい (不道徳でずる賢い) 人物でしたが、神は彼の心を見ておられました。ダビデの弱点や失敗にもかかわらず、彼は「神の心にかなった」人だったのです。彼は「イスラエルの素晴らしい詩篇の作者」、「イスラエル史上最も偉大な王」と呼ばれました。
サウルの心は分断され、心から神に尽くしていませんでしたが、ダビデは心から神を愛し、主の前で悔い改める必要性に常に素早く気づきました。
私たちは誰一人として完璧ではありません。弱さや葛藤があるかもしれませんが、神は完璧な人を探しているわけではありません。神は、心からの献身的な愛をもってご自分を愛す者を探しておられるのです。
エレミヤ29:13(メッセージバイブル訳) 「あなたがわたしを探しに来るとき、きっとあなたは見つけるだろう。そう、あなたが本気でわたしを探して、何よりもわたしを望むとき、わたしは決してあなたを失望させない。」主のことば。
私はよく、このように祈っていることがあります。「主よ、私の心を奪ってください。私の内に新しい心を、あなたを追い求める心を造ってください。私があなたに知られているように、あなたを知りたいという深い願いを私の中に与えてください。あなたをもっと知ることが、私の存在を小さくすることなら、私のすべてを取り去ってください。私の心をすべて奪ってください。私の心を決して硬くさせないでください。決して冷たい心にしないでください。決して疲れ果てさせないでください。私を決して離さないでください。」
あなたの心は、常に自分にとって大事なものを追い求めるのです。
今日、私たちは真心をこめて神に献身的な愛を捧げましょう。神を見つけることに真剣になりましょう。心から神を愛し、心から神を礼拝しましょう。私たちの人生の中で、他の何よりもイエスを求めましょう。